家紋の話   家紋の始まり


 始まりと書いたからには、一番最初を書かなければいけないんですが,本当のところ良く分かりません。なんでも源頼朝の頃から旗に紋様を書き始めた・・・らしいです。

 源頼朝といえば鎌倉幕府を作り、初代将軍になった人で、これから700年間に渡り武家社会が続いて行くのでした。ご存知「イイクニツクロウ鎌倉幕府」です。

 最初は 公家達が牛車に装飾した物がだんだん紋になっていったらしく、おそらくお金と暇は有り余るほどあったので、若くてしゃれ者の公家さん達は車(牛車)に、エアスポイラーを付け、ステッカーを貼り、飾り立ててナンパなぞをしていたのでしょうか。(もちろん想像です)

 一方武士の頼朝は、家紋と呼べる程の印は使ってなく、ただの白い旗でした。この頃源氏は白旗、平家は赤旗、お互いにそこそこ共存していたようです。ただそれも長続きせず、両者は戦うようになります。

 そこで何か自分達の象徴のような物はないか、敵と味方を区別できるような。ただの赤旗、白旗ではセンスが悪い。それには旗に印
いし、よりカッコイイではないか。

 こうして公家の家紋を拝借して広まったのです。(と思います)また戦争の時、幕を張り巡らし、その中で大将と家来達が作戦会議を開く様子を大河ドラマなどでよく見かけますが、その幕に描いたものが幕紋と呼ばれ、これからも進化していったみたいです。  

 当然ですが武士は戦いの事だけを考えていたようで、勇ましく格好良くがトレンド?となっていました。たしかに旗に家紋を描き、突撃する様は勇壮で、血湧き肉踊り、中にはいたに違いない怠け者の下級武士でも「ひとつ敵でも切ってみるか」そんな気にさせる効果があったんでしょう。  

 いずれにせよ発案者は公家、広めたのは武士みたいです。著作権などない時代で、みんな急速に真似をしていったのでありました

家紋の発達

 鎌倉時代にはたくさんの大きな戦があり、敵味方を区別するため、あるいは一族の象徴の為、旗に入れたり、兜に入れたり、家紋はどうしても必要な物でした。武家社会の発達に伴い家紋も発達していったのです。

 鎌倉時代の終わりには、ほとんどの武士が家紋を持っていました。もともと家紋は苗字を表す名刺のようなものですから、同族はすべて同じ紋なのですが、戦乱が長引き、親子同士、兄弟同士、親類同士争うことも多くなり、同じ家紋では戦場で見分けがつかない。 

 それに相手よりも目立ちたい。こういった事情で家紋の数も多くなっていったようです。余談ですが、この時代の刀は、我々が思い描く江戸時代後半の飾り物に近い刀と違い、大きくて重かったので、切るというより叩き切る感じだったのですが、考えてみれば戦場は壮絶で地獄絵図さながらだったんでしょう。

何かと不満はありますが、現代に生まれて本当に良かったと思っております。

  

粋と風流、江戸っ子の家紋でぇい

 徳川幕府の根幹をなすのは封建制度で、いわゆる士、農、工、商の階級制度です。武士の中でも細かく上下関係が決まっておりました。戦争の無くなったこの頃の家紋は本来の意味とは違って来てもっぱら家格を表すようになったのです。

 つまり相手の家紋を見て自分より偉いかそうでないか判断していたようなのです。こういった所は現代の軍隊と似ておりますが、階級を間違えて失礼な態度をとると、とんでもなく大変な事になってしまうのでおそらくみんな家紋の勉強を一生懸命した事でしょう。

 ひょっとしたら剣術より大切だったかもしれません。(下手をすると切腹、お家断絶なのですからこれは怖い!)何せ家紋の数は何千、あるいは一説には何万もあるのですから(最も当時それ程の数が有ったかどうかは分かりませんが)

きっと武士の教育ママは自分の息子に「家紋を覚えなさい出世しないわよ。将来パパのようになりたいの!剣術なんて今の世は古臭くて役に立たないわ、家紋よ家紋」と言っていたに違い有りません。

ひょっとしたら「家紋ガイドブック」「明け六つまでに覚える家紋の基礎」なるものがあった事でしょう(あくまでも私の想像です)

さて、着物に家紋を入れるのはもっぱら装飾の要素も強かったのですが、そうなるとデザインが重要になってきます。左右対称になったのも○で囲むようになったのもこの頃からの様です。

しかし調子に乗った人間は今も昔もだんだんエスカレートするものなので、徳川も中期になると江戸時代の絶頂期で、泰平の世を謳歌していた日本人は何でも有りの様相を呈し、町人、百姓、はては遊女までが家紋を使用しだします。

その文様も文字や絵、名所旧跡にちなんだ紋、俳優紋に好きな女性の紋と一緒に並べた物など、ありとあらゆる紋が創作されます。そりゃそうですデザインなのですから何でも有りです。

「家紋製作いたし候」といった看板が町のあちこちで見うけられ・・・・(ウソです)こうして日本文化の発祥になったバブル絶頂期のような元禄文化が花開いていったのです。

階級社会の時代に庶民が好き放題に使えたのはもしかしたら家紋だけかもしれません。何かと規制の厳しかった時代に一部の使用禁止の紋があった以外幕府はおおらかでした。

使用禁止と言えば当然徳川家の葵の紋の事ですが、何故か天皇家のご紋、菊紋、桐紋は禁止されず庶民は好き放題使っておりました。

菊紋が禁止になるのは明治に入ってからの事なのですが、明治からの話は次の機会に譲る事としまして、この話はここら辺で終わりとさせて頂きます。

以上本当に大雑把に書いてきましたが、本格的な記述は私には知識的にも筆力的にもムリなので、ちゃんとした本をお読みになる事を強く強くお勧めします。お後がよろしいようで。

   


(この記述に関して博識の諸氏におかれましては、何かとご意見ご不満がおありでしょうが、痴れ者の戯言とお思い頂き、なにとぞご容赦をお願いいたします。
byめいふらい)


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